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我が青春の芦別岳

芦別岳に初めて登ったのは高校一年の時だから、もう50年も前の話だ。

当時は小樽発釧路行きの夜行列車に乗り、山部で下車してを真っ暗な中スタートした記憶がある。

今のように登山口まで車で行くようになったのは20代後半になってからの話だ。

小雨のなか旧道をたどり、何にも見えない頂上に着いた。寒いので急いで下山して新道を降りたところで

昼のサイレンを聞いた。それからまた、田んぼの中の1本道を山部駅まで歩く。

 

その後、大学に入り山岳部に入部した。

山岳部では毎年6月に芦別岳で新人養成合宿を10日間にわたって行った。

山部駅から新道経由で山頂へ。新人は40㎏の歩荷で皆、死にそうになる。

それから頂上直下にテントを張り、雪上訓練や本谷グリセード、一稜の登攀、夫婦岩の登攀などでしごかれる訳だ。そんな思いをして下山すると新人の半分は退部してしまう。

残ったのは精鋭というより、逃げ遅れたアホたちだが2年生の冬山を超えたあたりから、いっぱしの山やの顔に変わって来る。

僕は山岳部の合宿をこなしながらも個人山行で芦別岳へ通った。

あの急峻なルンぜをスキーで滑ったらさぞ、気持ちが良いだろうと2mのスキーとスキー靴を担いで

ユーフレ小屋に泊まり、本谷、Aルンぜ、Bルンぜ、ガンマールンぜなどを滑りまくった。

勢いに乗って一稜をスキーを担いでロープもつけずにソロで登って本谷を滑り降りたのは気分が良かったなぁ。その後はクライミングにシフトして夫婦岩に通う。

夫婦岩の北壁カンテを登ってからガンマールンゼを下り、左股奥壁をさらに登り、本谷から芦別岳の一稜へと継続登攀したのは痛快な思い出だ。

山岳部の愛唱歌に「芦別小唄」なるものがあって、酒が入ると良く歌っていた。

 

暗い札幌のプラットホーム、可愛あの子が涙を流す、もどりゃおいらの男がすたる山の男はつらいもの

とこズンドコズンドコ

唄うハーケン、伸びろよザイル、なんのチムニー、オーバーハングちょいと乗越目の下見れば雲がゆくゆく本谷へ とこズンドコズンドコ

 

まさに夜行からまつに乗って、芦別岳の一稜を登行く状況を唄ったもので調子に乗って歌いながら登っていたなぁ。

あと20回登れば、150回だな。

だからどうした?

別にぃ~、好きで通ってるだけですから。

来年も行きますよ!